教育と人の生き方、哲学、歴史(アカルヒメと歩む過去から未来)

49歳にて阿迦留姫(アカルヒメ)と時を超えて再会し、それ以来再度行動を共にしています。 元進学塾講師、教育関連をテーマに人の生き方、哲学、歴史(古代史)など

「私のもの」など何もない(地球は愛そのもの)

 

テレビを見ない、オリンピックを見ない、YAHOOニュースを見ない、で過ごしていますと、周りの話題には全くついていけませんが、その代わりに心は健康になります。

 

メジャーリーグの大谷さんと、偏向報道の少ない海外のニュースはネットで見ています・・・)

 

海外の報道を見ていると今の日本がいかに世界から孤立しているかがよく分かります。

日本のメディアでは相変わらず中国のことを報道していないと聞いていますし、東京オリンピックが海外でどのように報道されているか、そしてコロナで不安を煽る報道など、私たちほとんどの日本人はマスメディアに情報をコントロールされているように思い色々と考えさせられます・・

 

本題ですが、私たち人間は「私のもの、私のもの」と物質に心を奪われて大切なものを見失っているように思うことがあります。

 

すべて地球からの借り物で私たちのものなど何一つなく、私たち人間は地球からそれらを使わせて頂いているだけということに私たちは気づく必要があるのではないないでしょうか。


<家、土地>

お金を支払い、使う権利を持っているだけで私たちのものではないことは明らかで、子孫が相続して固定資産税を支払い、建物や設備をメンテナンスして維持していくことが出来なければ家も土地もいずれ他の方に権利が移りますし、それでもそれらは地球のものであることは比較的普遍だと思います。


スマートフォン

金属、天然樹脂、合成樹脂(プラスチック)などで出来ていますが、天然樹脂や金属はもちろんのこと、合成樹脂のプラスチックでさえ石油、地球の資源から出来ています。石油の元はケロジェンとよばれる有機物で、大昔のプランクトンの死骸などが土の中にいるバクテリアと地下の熱の働きで石油になったと言われています。ですからスマートフォンも地球の一部と言うことが出来ると思います。


<人間>

有名な解剖学者の養老孟司先生がよく言われていますが、そもそも私たち自身は直径約0.03mmの卵子から、米や野菜、穀物、肉など地球上のものを食べることで今の身体の大きさまで成長し、今の私たち人間の身体は米など食べたもので構成されて維持されています。つまり私たちの身体は地球の一部で出来ています。そして今生の死を持っていずれその身体も地球に還ります。

 

ですから「私のもの、私のもの」と物質に心を奪われて大切なものを見失っている私たち人間は、今生を終える時になって初めて「私のものなど何一つなかった」ということに気づくのかもしれません。


私のものなど何一つもなく、すべて地球のものを使わせて頂いているだけであって、それを使わせてくれる地球は愛のかたまりで、地球から出来ている私たち人間の身体も身の回りのあらゆる物質もすべての存在が「愛」(地球の一部)なのではないかと考えることがあります。

 

ちなみに私たちがいる人間界の日常生活で「愛」という言葉を口に出すと相手に驚かれ、気持ち悪がられたり、かなり引かれてしまいますが、音楽の歌詞にはたくさん「愛」という言葉が使われるのに・・不思議ですね・・

 

私個人としては長い人生の中で日常生活で人の口から「愛」という言葉を聞いた記憶がないような気がするのですが、それは私だけなのでしょうか・・

 

ちなみに神様方は毎日のように、愛、愛、愛、

 

愛を語り、愛について考えていらっしゃいます。

 

All You Need is Love を作詞し、歌ったビートルズのジョンレノンは54年前に愛について深く考え「愛こそはすべて」と、その想いを歌ったのかもしれません。

 

私たち人間は愛と聞くと男女間の愛しか思い浮かべませんが、ちょっとした思いやりや気配り、それは人の行為や言動だけでなく、階段の手すりや目の不自由な人のための点字などの物質、それらの人工物でさえ立派な愛だと分かれば最後にはすべての存在が愛だということに気づくことが出来るのかもしれませんね。

 

「私のものだと思うのは人間の思い上がりで、「私のもの」などは何もなくすべて地球の恵み」、そう考え、感謝して使わせて頂きたいと思います。

 

もちろん、自分の身体も地球の恵みで出来ていて生かされているわけですから、健康に気を使い大切にいたわりたいと思います。

 

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 本日も最後までお読みくださり、有難うございました。

 

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神と仏、神社と寺の違いがなぜ正しく語られないのか

 
これだけネットが普及した情報社会になりながら、神と仏、神社と寺、その違いが正しく語られていないように思います。
 
これだけ見えない世界を語る人がネット上に溢れているにも関わらず、そのような大切なことがなぜ正しく語られないのでしょうか。
 
私が目の当たりにし、知る限り、神様は基本的に土地につき、地域、国を守り、仏様は亡くなりし人をご霊界に導き、神様よりも更に私たち人間の近くで見守ってくださる存在です。
 
神仏の方々がそれぞれに出来ることをなさり、連携してこの国と人を守り、導き、更にそれは日本だけに限らずヒンズー教など海外から他国の神仏も連携し私たちとこの国、日本を見守ってくださっています。
 
「神様は愛を重視し、愛ありきの厳しさがあり、仏様は人に寄り添い優しさも持つ、」
 
そのようにヒンズーのシヴァ様からお聞きしていると先日もアカルヒメ様から聞かされました。
 
いつも同じことを書かせていただくのですが、日本には1万5千を超える神社仏閣があり、その歴史からも分かる通り、神仏は古来から私たち日本人の生活の一部として身近な存在であり続けています。
 
そして神仏よりも更に最も身近で私たちを見守ってくださっているのが私たちのご先祖様です。
 
家系が継承され、感謝の思いを抱き先祖供養が代々に渡り行われ続けることにより、私たち子孫は代々ご先祖様によるご守護を頂きながらこの世で暮らし、ご先祖様と現世の私たち双方が成長することでお互いの霊格の向上につながり、それが更に神仏の御加護を頂きやすくなり、また更には神様や仏様のお手伝いをさせて頂けるに至ることもあると聞いています。
 
家系が途絶え、先祖供養もせず、そのため私たちがご先祖様の後ろ盾を頂くことも無くなり、やがて人間は動物のようにこの世に生まれし時から誰にも守護されず、一人だけで与えられた生涯を戦い抜き、負の存在により囚われの身になること無く無事に元いた霊界に戻れるかどうかのサバイバルゲームを繰り返す世の中が来るのかもしれません。
 
目に見える世界だけを信じ、毎日お金のことを中心に考え自分のためだけに生きるのも一つの生き方、
 
一方、目に見えない世界を信じ、「どれだけ他のために生きる事ができるかを考える、」それも一つの生き方、
 
人によっては生涯スピリチュアルを追い続け、気がつけば間違った知識で頭でっかちになり、大切なことを置き去りにしたまま今生を終えてしまう方もいらっしゃるのかもしれません。
 
神や仏と言われる方々とご縁を頂くには、やたらと数多くの神社仏閣を回ることではなく、むしろそれは時に神の怒りを買う場合もあり、
 
大切なことは自身が地に足をつけた努力を積み重ね、その上でご縁を頂きたく思われる少数の神社仏閣を参拝することだと私は考えています。勿論、神社仏閣の参拝は心のこもったご先祖様供養があっての前提であることは言うまでもないと思います。
 
いずれにしましても、
 
私たち人間がスピリチュアルな世界を学び、それを知る理由は、
 
「目に見えるこの世界で地に足をつけどう生きるかを考えるため」
 
それがスピリチュアルを学ぶ数ある理由の中で一番の理由だと私は考えています。
 
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本日も最後までお読みくださり、有難うございました。
 

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心の癒やしは音楽で・・

 

最近仕事の時間以外はよく YOASOBIの ikuraさんが歌う SWEET MEMORIESのカバーを聴いているのですが、なんと素敵で癒やされる歌声なのだろうと毎日聴き入っています。

 

世の中、イライラしながら周りに当たり散らしている方々がいると思えば、このような愛の女神のような人間の女性もいらっしゃるのですね。

 

私たちの日常では、波長が合わない集団の中に飛び込むと息苦しく、いち早くその場から立ち去りたくなることがあります。

 

 

「無関心で、周りが困っていようがなんとも思わず手助けをすることもない」

 

「同じことを4回も5回も言われても平気で次にまた言われるまでしない」

 

「いつもイライラして、いつも怒りながら話し」

 

「朝から晩まで不平不満に愚痴」

 

「自分は悪くなく、常に相手が悪い」

 

デスクの引き出しやドアを「バン!」と大きな音を立てて閉め、それは物をテーブルなどの上に置く時なども同じ、

 

耳からそれらの音が入ってくる度に鋭く突き刺さり、胸が苦しくなり、息苦しくなり、同じ空間にいるだけでしんどくて逃げ出したくなります。

 

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敏感な方は同じようなご経験がおありの方々もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

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松田聖子さんの歌うSWEET MEMORIESも懐かしいのですが、そんな時、ikuraさんの歌うSWEET MEMORIESは本当に素敵で心が癒やされ、救われる思いです・・

 

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本日も最後までお読みくださり、有難うございました。

 

共同墓地の管理者の方から手紙


先日、共同墓地の管理者の方から手紙が届きまして、内容は「墓地清掃のお願い」という題名で、墓地の使用者全体に向けての書面でした。

 

最近は雑草が腰の高さまで生い茂り放置されたままの墓地なども多く見かけられ、隣の区画まで迷惑を掛けたりという状況が増えていましたからそのような通知を出されたのだと思います。

 

また、地元の墓地管理委員会によりますと「墓じまい」等により区画の契約解除が増加しており、管理委員会の墓地を管理、維持していくための財務を逼迫するまでに至っているそうです。

 

最近、神社などでは若い世代の方々が多く参拝されている姿を見かけますが、その反面、私自身の周囲ではお寺やお墓参りに行ってお会いする方々は多くが高齢者のように思います。

 

地元で話をお聞きしても、ご夫婦共に高齢になりお墓参りに行けなくなる方々も増え、お墓が荒れてしまい管理ができなくなる家も増えてきているようで、近くに子どもたちがいてもなかなか足を運ぼうとしない方々が多いでしょうから、今の世の中、先祖代々のお墓を管理して守っていくということは本当に大変なことなのだと思います。

 

最近の統計によりますと、昭和61年に15.3%であったとされる3世代同居世帯は平成25年には6.6%まで減少しており、親子、孫の3世代が同居をするサザエさん的な家庭も今やほとんどありませんし、昔と違い、婿養子に来て家系を継いでくれるなどもほとんどなく、子どもたちが遠方に住んでいたりしてお墓参りにも行けないとなると自然と墓守もいなくなってくるのでしょう。

 

ただ、私の実家がそうですが、息子、娘たち複数人がお墓から徒歩数分という近くに住んでいてもお墓参りをしない人々が増えているようですし、高齢の方々を除き、近くにお墓がありながら、お盆、お彼岸、お正月の、たった年に3回程度のお墓参りでさえ、きちんと行かれているという同世代以下の人たちを私は自分の周囲に見つけることが出来ません。それくらい日常生活でお墓参りに行かれている人を見つけるのが難しくなっています。

 

更に私の職場の人々に聞いても、近くにお墓があっても、本家に住んでいても、それでも年一回のお墓参りさえも行かない、それに何の後ろめたさなども感じない、自分たちは悪くない、そのような感覚を持たれている実情です。そもそも先祖供養の話などを周りにしようものなら変わり者と見られ、大抵嫌がられます。

 

私自身、20歳頃からお墓参りに定期的に行くようになり、今は50歳になりましたからこの30年の間、墓地を見てきて以前より管理がされておらず荒れているお墓が増えたような気がします。

 

私の両親の世代、今の80歳代くらいの高齢者はちょうど昭和の戦中生まれの方々ですから、この世代の方々が亡くなられるこれから数年の間にお墓は更に荒れてしまうのではないでしょうか・・

 

このブログを書き始めてから私が知る限りでも、「自分の子孫は供養をしてくれない」との訴えをされる読者のご先祖様もいらっしゃり、しかもこのブログをお読み下さる方々の多くはスピリチュアルに興味がある読者の方々であるにも関わらず、「それなのになぜ?」と思い続けながら今回もこのような内容の記事を書かせて頂いております。

 

実家が遠方でお墓参りや仏壇の前で供養できずとも、自宅にいながらでもご先祖様への思いは届くわけですし、更にお寺は日本全国どこにでもあるわけですから、神社参拝も大切ではあるとは思いますが、まずは最も私たちの身近で見守ってくださるご先祖様供養からではないかと私は考えています。

 

そういう私の息子たち二人を見ても、神社、お寺、お墓参りなどに連れて行こうとすると彼らは非常に嫌がりますし、こういった見えない世界について話をしようとしても無反応、と言いますか、どちらかというと嫌がられてしまいます。

 

 

今の世の中、こういう状況になっているからこそ、「見える世界だけが全てではない」ということを忘れないために、こちらの私たちの世界でもスピリチュアルを語る方々が存在するのだと思いますし、漫画やアニメなどを通じてその世界が描かれ続けていたりするのだと思います。

 

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・・

 

 最後に、

 

「ご先祖様は私たちに何を望むのか?」

 

「子孫である私たちにどのようになってほしいのか?」

 

これらの疑問について、その返答として「成長と霊格の向上のため」と聞かされたことがあります。

 

今の私たち人間は物質に心を奪われ、お金中心の価値基準で生き、我が身大事で他を思いやる心を失っているように思います。

 

自己本位の身勝手な考えから、相手本位で物事を考える愛を持てず、

 

周りが困っていようが無関心、自分には関係ない、

 

自分、または自分の家族さえ良ければいい、

 

そもそも周りを救けるなど、自分たちが生きるのに精一杯でそんな余裕はない、

 

・・・

 

皆がそのような考えとは言いませんが、私たちの多くがそのような実情ではないでしょうか。

 

・・・・

・・

 

私は思うのですが、

 

私たちは既に満たされており、それに気づけるかどうか、

 

そしてスピリチュアルの世界を知るということは、「地に足をつけて今をどう生きるかを考えること」、

 

そのように考えています。

 

 

お盆まで一ヶ月となりました。コロナの関係で帰省が難しい方々も多いとは思いますが、私も実家には距離があるため頻繁には帰れません。そのため毎朝自宅で手を合わせ、毎週、車で30分ほどのお寺からご先祖様に思いを届けさせて頂いています。

 

時代が変わりつつありますから、供養の形も今後は変わってくるものと思いますが、それでも「心」や「思い」がなく、形だけでは届きませんし、逆に言えば今後供養の形がどのような形に変化しても思いは変わらずに届くのものだと私は考えています。

 

 

本日も最後までお読みくださり有難うございました。

 

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日本の神々と日本の精神文化(日本人としての誇り)

 

以前アカルヒメ様から「国生みの神と言われるイザナギ様がご自身の命で日本の国全体を守っていらっしゃる」とお聞きしたことがあるのですが、

 

更に最近、「ヒンズーの神、シヴァ様からも『日本は国全体に結界が施され、更に八百万の神々と諸外国の神々が手を結び、それによって守られている』」 とのことを同じくアカルヒメ様を通じてお聞きし、私たち日本人はそれにより海外からのネット経由での負の存在の侵入などからも守られているようです。

 
更に、ヒンズーの神々は仏教に通じ、そのご縁から日本の神々や仏様との繋がりがあり、そのことから私たちは必然的にヒンズーの神々と繋がっていると、そのようにも聞かされています。
 
これらの話を聞きますと、やはり日本という国は国全体が何か見えない大きな力で守られているということを思い知らされます。
 
私たちは普段、自国の日本について考えることはあまりないかもしれませんが、それでも海外旅行や仕事などで海外に出た時、そこで初めて自分が日本人であることを意識される方も多いと思います。
 
海外で現地の人に「あなたは中国人ですか?韓国人ですか?」と聞かれた時、内気な方でさえ、その時は胸を張って「日本人です!」 と、お答えになる方が多いのではないでしょうか。
 
・・・
・・
 
本題ですが、
 
「日本の神は、護る神であり支配する神ではない」と言われます。
 
日本には八百万の神が存在すると言われ、唯一の絶対者を生み出さず、また日本の精神風土は曖昧さにあると言われることもあり、状況に応じてではありますが、曖昧としておく事は、時によっては決して悪ではなく、一種の日本人の処世術、倫理観でもあるとも言われます。
 
少なくとも明治以前の日本人は、神や仏、思想などによって規制された単一の倫理覿というものを強制される事なく、多くのことを自由に選択することができ、他者の倫理観に対しても寛容で、同時に自己の倫理観に対する厳しさというものも持ち合わせてきました。
 
また、日本人は「恥」を知り、恥を嫌う民族でもあると言われますが、私たち日本人が恥を失う事は日本人が日本人としての誇りを失うことでもあると私は考え、更に「日本人は精神文化を重んじる民族」であり、それが日本人の誇りであるとも思っています。
 
日本は昭和の戦後、経済的な復興を果たしましたが、文化的復興はなされないままになっているのではないでしょうか。
 
日本人は建国以来国家の独立を守り通してきた民族であり、私たち日本人が日本人であることは、私たちが精神文化の上でお互いに繋がっていることにあると私は考えています。
 
精神という言葉を使うと誤解されがちですが、明治以降の軍国主義のような間違ったようなものではなく、例えば日本は漢字を取り入れて、ひらがなやカタカナを生みだし、儒教を取り入れ、神道や仏教を習合しながら独自の精神文化を作ってきました。
 
他国の文化を排除することなく柔軟に取り入れながらも、取り入れたそれらの文化を吟味し、取捨選択をしながら独自のものに変え、より良い形へと進化させて今日に至ります。
 
外国から日本の文化を学びに日本を訪れる人々が絶えないのは、これらの「和」の心が日本固有のもので、他の国には見られない精神文化だからではないでしょうか。
 
一人の英雄が一国を率い、国のトップが倒れれば崩れる国とは異なり、日本は各分野に秀でたそれぞれ個々が自分の出来ることに専念し、仲間を信じ、託し、お互いが支え合い成り立つ国家として強固で結束の固い国であると私は考えています。
それは日本の神々だけに言えることではなく、人間社会での日本国内の各地域の集団や小さな組織に至るまで言えることでもあると思います。
 
何故ならそこには互いを想う「愛」があり、日本人が大切にしてきた「和の心」があるからではないでしょうか。
 
八百万の神々の国」と言われる日本はそれらの象徴でもあると私は考えています。
 
唯一絶対神を崇めるのではなく、日本の各地域ごとに氏神様がいらっしゃり、お寺があり、全国には約1万5千もの神社仏閣があります。
 
神仏は日本人の私たちにとって生活の身近に存在し、私たちを最も身近でお守りくださるご先祖様、仏様、そして土地、地域、国を守ってくださっている八百万の神々は古来より私たちの生活の一部となり、私たち日本人はこれまで神仏と共に歩み、そして現在に至ります。
 
神話の中の存在とされてきた日本の神々が実在し、今でも日本全体を守り続け、現代においても海外からのインターネット経由での侵入すら遮断して守ってくれているなど、そのようなことも私たちは知る由もありません。
 
また、ヒンズーの神々を始めとする諸外国の神々と日本の神々が手を結び、世界平和、地球、宇宙の平和のために日々互いに協力して動かれていることなども私たち人間には通常知らされることもありません。
 
これまで私たちは精神の発達をなおざりにして、物質の発展のみに重きをおいて進んできてしまい、その結果が現代の人間社会なのかもしれません。
 
これからは行き過ぎた物質文明から精神文明を目指す必要があり、極端な移行は無理としても、物質至上主義を改め、物質と精神の両立を目指す必要があると思われ、そのために徳の精神、調和を大切にし、協調性に優れた思考を持つ日本人、日本の神仏の方々が重要な役目を任されているのではないかと私は考えています。
 
私たち人間が自己を磨くためには「行動」が必要になり、その行動には意思決定が伴います。その意思決定を自らの意思で行うには何事も学び続けなければならず、学びを止め、自分の頭で考えることを止めた人間は、「生きているのではなく、周囲に流され、ただそこに存在するだけ」、時に私はそのように考えることもあります。
 
私たち日本人が失いつつある「誇り」とは何なのか、それは、国家としての長い伝統と歴史に裏づけられた文化的意識の上でお互いが繋がり合い、そして新しいものを受け入れる寛容な心を持ち、多様性を認め尊重する、それこそが日本人であり、「日本人としての誇り」とも言えるのではないでしょうか。
 
・・・
 
本日も最後までお読みくださり有難うございました。
 

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部屋の乱れは心の乱れ、内面の美しさと気品

 

私は特別に綺麗好きというわけではないのですが、

 

職場で色々と見ていますと、髪や身なりは大変綺麗で清潔にされているのに、デスク周りはホコリだらけで汚くて物が散乱、そんな中でも気にならず仕事が出来る、そのような人が多いように思います。

 
これは普通に考えるとその方々の性格といいますか、その人の内面が出ていると考えればいいのでしょうか、
 
中には、家では綺麗にしているのに会社のデスクはホコリだらけで汚くしている人がいるとの話を聞いたこともあり、もしそれが事実なら自宅と会社のデスクの両方汚い人の方がまだマシだと、そのようなことも考えたりします・・
 
私のいる職場では自身のデスク周りを綺麗にして整理整頓している人はごく少数という感じなのですが、
ここまで来ると、もしかしたらそのような人たちが引き寄せの法則で集まっているからなのかもしれないと、最近はそのように思うまでになりました ^^;)
以前の教育関連の職場では逆に、皆言われずとも引き出しの中まで綺麗にしている人がほとんどでしたので・・
 
なんだか口うるさいオヤジの独り言のようになっていますが、
 
指摘して掃除するように言うと嫌がられますし、たとえ言ってもそのような方々はその場では適当に掃除して、翌日にはまた乱れて物が散乱しているといった状況の繰り返しです。
 
ご本人自身は服装もお洒落にしてとても綺麗にしているのに、デスク周りには物が散乱していて指で字が書けるくらいホコリが溜まっていて、それでも平気、みたいな、そのような様子を見ていますと本当に残念な気持ちになります。
 
たとえお化粧をされていなくても、髪を染めていなくても、着飾ってはいなくても、身なりを清潔にして身の回りの物を整えて綺麗に整理整頓している人のほうが素敵だと思ってしまう、そのような私は少数派なのでしょうか・・
 
着飾るだけで外面を取り繕うというものとは異なる、内面の美しさが自然と外面に漂う「気品」、そのようなものを男性は無意識に女性に求めていたりするものではないでしょうか。
 
また今の時代、そのような数少ない気品ある女性に出会うには男性側もそのような女性に相応しい、冷静沈着、内面の強さと優しさ、経済力、それらを兼ね備えたような者にならねばならないのかもしれませんね。
 
「そんなことを言う今の世の中の男性もだらしない!」と、そのようなお叱りのお声も聞こえてきそうですが、それもごもっともなご意見かと思います・・
 
部屋の乱れは心の乱れ、
 
そういう私も職場のデスクと自宅の自室を整理整頓して片付けて綺麗にしたいと思います。物が多すぎるとやはり物を捨てないとなかなか片付かないものです・・
 
・・・
 
 
本日も最後までお読みくださり、有難うございました。
 

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金星が私たちに教えてくれること(私たちは既に満たされている)

 

私は変わり者なのか、普通の人が普段あまり考えないようなことばかり考えています。

 

側にいる人を横目に見ては、

 

「この人の今生、生まれてきた目的や人生の課題は何なのだろう」

 

「また前世と同じことを今もやっているのかもしれない・・これから残りの人生でどうするんだろう。。。」

 

とか、

 

「草木はなぜ昼間よりも夜間の方が成長するスピードが速いのだろう。寝る子は育つ、といわれる人間の成長と関連性はあるのだろうか」

 

など・・

 

そんなことを考えながら過ごしたりしています。

 

・・・

 

そんな私ですが、先日から「金星」の事ばかり考えています。

 

金星といえばヴィーナス【Venus】、ローマ神話の菜園の女神の英語名で、ギリシャ神話では美と愛の神ともされますが、最近この惑星の動きについて疑問に思っていることがありまして、

 

なぜ金星だけ自転の方向が違うのでしょうか?

 

太陽系の惑星は太陽の自転の方向と同じく時計と反対周りに太陽の周りを公転しながら、皆同じく反時計周りに自ら自転しているにも関わらず、

なぜ「金星だけは」その反対方向、「時計回りに自転」しているのか、ずっとそればかり考えています。

 

もちろん、学術的に言われていますように、過去に小惑星が金星に衝突し地軸を傾け、元々反時計周りだったものが時計回りになった説が有力とされているのですが、仮にそうだとしても何か意味がありそうで、ずっとそれを考え続けています。

 

私たちの生活では太陽系の惑星のように皆が同じ方向を向いて生きているように思います

 

「皆がそうするから、」

 

「偉い人がそう言うから、」

 

それに疑問を持たず、周りや情報に流されながらなんとなく過ごす日々ではないでしょうか。

 

・・・

 

 

私が思いますに、この金星だけに見られる他と異なる動きは、「私たちへの気づき」を促しているように思うことがあり、

 

「それは違うのではないか?」

 

「それ、逆では?」

 

私たちの日常ではそのような発想や考えが欠けているように思います。

 

例えば私たちは、「神さまは私たちに救けの手を差し伸べてくれる存在」と考えがちですが、私はそうではなく、神さまというのは私たちに「気づきを与えてくださる存在」ではないかと考えています。

 

病気になって初めて健康に過ごす幸せを感じたり、

 

停電になって電気の有難みや、いかに私たちが文明に依存した生活をしているかということに気づいたり、

 

失うことで私たちが既に満たされていたことに気づく、

 

 

つまり、当たり前が当たり前ではないことに気づかせてくれたり・・

 

 

私たちの日常は既に幸せで満たされており、単にそれが見えなくなっているのではないでしょうか。

 

自己本位な考えによる思いやりの欠如、

 

お金、物質至上の考え、

 

自分は悪くないという他への責任転嫁、

 

 

少し視点を変えるだけで気づくことがたくさんあり、

 

「既に私たちは満たされている」

 

それに気づくには他の動きに流されず、見方を少し変えるだけでよく、

 

金星のように、自分だけ自転の方向が逆だからと行って他の太陽系の惑星から仲間外れにされているわけでもなく、

他の惑星と同じように太陽系の惑星の一つとして立派に太陽の周りを公転しているのですから、私たち人間一人が違う視点を持ったところで誰にも迷惑をかけることもないなら、それでいて幸せに気づけるなら、こんなに素晴らしいことはないのではないかと考えることがあります。

 

しかも金星が愛の女神とされるなら、「当たり前から少し視点を変えることで、既に私たちが幸せや愛で満たされているということに気づく」ということもなんとなく繋がる気がします。

 

・・・

・・

 

本日も最後までお読みくださり、有難うございました。

 

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