近所のショッピングセンターを歩いていると小学生くらいの子供たちが皆、iPhone11 pro だか 12 pro だか分かりませんが、10万円も15万円もするような最新型のスマートフォンを手に持ってワイワイと話をしている姿を見かけます。
私たちサラリーマンのお父さんはどれだけ給料を稼ごうとも、給料が入ればすべて奥さんにそのまま渡すわけで、最新のスマートフォンどころか、今日のお昼のご飯は勇気を振り絞って豪華に500円使おうかどうするか悩んだり、そんなレベルであって、正直なところ、最新の高価なスマートフォンを持つ世間の子どもたちが本当に羨ましい限りです・・
そんな私たちが同じく小学生の頃は、稲刈りをした田んぼで泥だらけになりながら、その辺に落ちていた木をバットにして野球をしたり、子供同士で殴り合いのケンカをしたりで、今の子供たちとは育つ環境が異なりましたが、それはそれで相手の痛みが分かり、時に傷つき、それらを肌で知ることが出来た、ある意味良い少年時代だったのかもしれません。
そういう私も今ではこの技術革新、文明の進化の恩恵を大きく受けている一人です。
世界中お互いどんなに離れていても、スマートフォン1台あればいつでもつながることが出来、ネット電話で声も聞くことが出来、そして画面でお互いの顔を見ながら話すことだって出来ます。これは本当に素晴らしいことだと思います。
少なくとも本州なら、スマホで注文すれば生活必需品から食べ物まで翌日(大都市圏など地域によっては当日)自宅まで届き、図書館や本屋さんに行かなくても分からないことがあればネットで検索すれば何でも答えが出てきていくらでも勉強ができる、そんな便利な、そして個で成り立つ世の中でもあります。
そしてまた、今まで包み隠されていた真実もネット社会で明るみになってきており、テレビや新聞による一部の既得権益者による世論の誘導も出来ない世の中となってきました。
その反面、ネットへの常時接続によってつながり続けることで心の安らぎが失われたり、匿名性が高いことなどによる心無いコメントの書き込みやいじめ、人工知能などの普及により人間が自身の頭で考えなくなったなどその副作用があることも事実で、コンピュータによる判断は人間の感情を徹底的に排除し、ビジネスの判断や人とのつながりなども「情」で判断することも少なくなってきました。
こういったハイテクノロジーにより変わりゆく世の中は、外に出て人と接しなくても自宅の一室でいながら誰とも顔を合わせることなく一人で何事も完結する世の中でもあります。
昭和戦後の高度経済成長期の時代、そして平成、令和の技術革新の時代の両方を生きてきた私として感じることは、それぞれの時代に良い面と悪い面があり、私たちは古くても良いものはどんなに文明が進化しても大切にしていかなければならないと、そのように思います。
メールやSNSでのやり取りなど、ビジネスでもプライベートでもお互いの顔が見えないとどうしても伝達内容が感情的になり、やり取りの内容がキツくなると言われます。
新型コロナのこんな時期に言うのも何なのですが、そしてこれは古い考え方なのかもしれませんが、パソコンやスマホ画面を通してではなく直接対面で会って顔を見ながら話をする、そこから人との感情的なつながりを大切にしたいと私は考えておりまして、
何事も効率化がすべて良いわけではなく、非効率で無駄があったとしてもそこにはそれにも勝る大切なものがあるものではないでしょうか。
便利な世の中、どのように文明が進化しようとも、私たち人間は道具、機械に振り回されず、感情でつながるという人間らしさを失わないようにしていかなければならないと、そのようにも思います。
本日も最後までお読みくださり、有難うございました。