教育と人の生き方、哲学、歴史(アカルヒメと歩む過去から未来)

令和2年5月24日、49歳にて「えっちゃん」こと「阿迦留姫(アカルヒメ)」と時を超えて再会し、それ以来再度行動を共にしています。 元進学塾英語講師、ウェブデザイナー、現在ベンダー勤務。 教育関連をテーマに人の生き方、哲学、歴史(古代史)など

霊障と先祖供養について(私の実体験から皆さまに是非知ってもらいたいこと)

 

わたくし事ではありますが、

この数日、「霊障」が続いておりまして、

 

まあ普段であれば少し背中が痛くなったり、眠くなったりする程度なのですが、

 

特に昨日は眠くなるどころではなく仕事中に何度も何度も寝落ちしそうになり、

 

それは単なる寝不足の眠さなどではなく、まるで睡眠薬でも飲んだかのような強烈な眠さで、

 

まあそんなものはいつものことで大したことはないのですが、

 

それよりも、

 

まるで背中の身柱穴から身体の中に手を入れられて、グイグイ胸椎までえぐられる感というか、背中から手を入れられ背骨を握られているというかなんというか、座っていられず、

 

なんとか息を整えながらとりあえず外の空気を吸おうとコンビニに向かって歩きだしたのですが、プカプカと足が宙に浮いた感と、そしてまっすぐ歩いているつもりが、微妙に斜めに歩いていたりと・・・

 

なんとか、えっちゃん(姫さま)や、お不動さま、薬師如来さまその他ご先祖さま皆さまに助けて頂きながら、そしてデスクから離れ、出来るだけ立ち仕事をしながら夕方まで正気を保って乗り切ったのですが、

 

その後治まったとはいえ衝撃の余韻は続き、えっちゃんには深夜まで背中の手当をしてもらっていた状況で・・・

 

今回の霊障の原因なんですが、どうも私の妻の側のご先祖様が大勢も大勢、想像を超える大人数で押し寄せてきていたようで、

 

その理由は、

 

「供養をして欲しい!」

「なぜ我々は供養してもらえないのか!」

 

といった「怒り」に満ちた訴えのようで・・

 

・・・

 

しかしながら・・・

 

私の妻はそっち系の話をどうしても受付けないタイプの人間で、少しでも霊的な話をしようものなら拒絶反応が凄まじく、

 

テレビに出る有名な霊能者に対してまで日頃から強烈に恨み節を語る始末、ましてや妻の実家はご両親とも介護が必要な状況で身動きも取れず、そして妻の実家は本家でもなく・・

 

もちろん形の供養ではなく「心」が必要なのは分かるのですが、あくまで今回の件は妻の側のご先祖様なわけで、私に訴えられるのは順序も筋も違うわけで、

 

ですが、先程お話しました通り、妻には決して伝えられない、仮に伝えてもより一層状況を悪化させるだけ、そんな状況では私にはどうすることも出来ません・・・

 

つまり、

 

まずは、妻側の人間が供養の心を運ばなければと・・・

 

しかし私にはそれすら妻に伝えることが出来ず、

 

私に頼って来られてもどうしようなく、申し訳ありませんが、お引取りい頂いて帰って頂くしかありません。

 

・・・・

 

それで、思うのですが、

 

今回供養を望み、私を通じて怒りながら訴えられて来ている妻側のご先祖の方々にお聞きしたいのですが、

 

「供養を望まれるご先祖さまご自身は生前、この世でいらっしゃる時に先祖供養を十分なさってこられたのでしょうか・・?」

 

と・・・

 

「生前、形だけの供養ではなく、ご先祖さまにしっかりと「心」を運ばれていらっしゃったのでしょうか・・?」

 

と・・・

 

そして、

 

「生前、もしそのような先祖供養を十分にされてなかったなら、それにも関わらず、当然の権利のように私たちに供養を求めるのですか?しかも怒りながら・・」

 

と、そのようにお聞きしたいのです。

 

「あまりにも勝手ではないでしょうか・・?」

 

と・・・

 

そして、この記事を読んで頂いている皆さまにも、今日お伝えした実際に私の周りで起こっていることが決して他人事ではなく、皆さまにも十分起こり得ることであり、

 

「もしかすると既にご先祖さまからその訴えを受けているかも知れない」

 

そう考えていただきたいのです。

 

私の場合は幸いにして、えっちゃんや住吉さま、お不動さまに薬師如来さま、そして家系のご先祖さまなど、大勢に守られておりますためこの程度で済んでいますが、

 

もし霊媒体質の方で普通の守り程度であれば、状況次第ではどうすることも出来ず、どれだけの苦しみと身の危険にさらされるか・・

 

以前、住吉さまがおっしゃっておられた、

 

「時に人間の力ではどうにもならないことがある」

 

というお言葉、まさにそれが今回の私の身の上に起こっている状況であります。 

 

もちろん、見えない世界のことでありますから、それを立証することは出来ませんし、その世界のことばかり考えて生活するわけにもいきません。

 

しかし、この日本に存在する神社仏閣は15万8千以上といわれており、これはコンビニエンスストアの約3倍の数に相当します。

 

それだけ多く存在する神社仏閣の数から分かる通り、わたしたち日本人にとって神さま仏さまは古来より身近な存在であり、生活の一部であり続けていることも紛れもない事実です。

 

ですので、まずは日々生かされていることに感謝し、その感謝は神さま仏さまへの感謝だけではなく、家族、友人、職場の同僚、そして動植物や自然などに対しても同じであり、

 

更にいうならば、目に見えない「心」を運ぶ、それは霊界のご先祖様に対してだけではなく、現世で生きている「者」、そして「モノ(物)」に対しても同じではないか、そのように思うのです。

 

そして今回、特に考えさせられたことがあります。

 

「霊界に帰ってから後悔したのでは遅いのです」

 

「魂を磨けるのは今この現世でいるこの瞬間だけなんです」

 

と・・・

 

ですので、この数日、私の身に実際に起こっているお話を信じるも信じないも皆さまの自由なのですが、間もなくお盆の時期です。

 

「この記事を読んでくださっている事自体が、皆さまに対して何か背後の働きかけがあってのことではないか、」

 

そのように感じて頂けたら私としても幸いです。

 

昨日のこともあり、本日は特に私の周りはガチガチに守っていただきながらこの記事をここまで無事書き終えることが出来ました。

 

どうか皆さま、そして皆さまの背後の方々にとってこの記事がお役に立てればこれ以上の幸せはありません。

 

そして、ご先祖様のご供養については是非、お子様にも代々伝えていって頂きたく思います。決して形だけの供養ではなく、心を運ぶ供養について、それはお墓でもなく、仏壇でもなく、

 

もちろんそれらがあれば、そしてそこに足を運ぶことが出来ればよりいいのでしょうが、お墓参りに行けなくても、仏壇が目の前になくとも、

 

「亡き方々を思い出すだけでも十分供養になる」

 

といういうことを、

 

逆に言えば、どのような立派なお墓や仏壇があっても、気持ち「心」がなければ全く意味がないことを、

 

学校の勉強以上にお子様に対する大切な教育、それは皆さまご両親にしか出来ないことと思いますので、どうかこのお盆の時期に少し考えて頂ければと思います。

 

 

そして最後に私の亡き祖父の話をさせてください。

 

かれこれ約30年ほど前の話です。

 

私が20歳くらいの時、空き家になった古い実家に当時の知り合いの霊能者と一緒に行った時、亡き祖父がその空き家の2階、以前祖父の部屋だったその場所にいました・・・

 

「おじいちゃん、なんでこっちの空き家の古い家におるんよ?お盆やで、新しい家になんで帰ってないんよ?」

 

と聞いたところ、

 

「あのなあ、新しい家に帰っても、ワシのことについて誰も話しせんやろ、そやからな、こっちの昔からの旧家におるほうが懐かしくてええんじゃ、」

 

と・・・・そして、

 

「それよりな、ちょっと書くものと紙をくれ、」

 

とか言われたり・・・・

 

ウチの亡き祖父は、字を書くのが大好きだったんです。

 

それ以来、私の部屋に飾ってある祖父の写真の前には、ノートと鉛筆を置いて、たまにページをめくったりしています。

 

コロナで帰省やお墓参りが難しくても、仏さまには皆さまの「心」は必ず届く、私はそう思っています。

 

そして、もしお子様がいらっしゃるなら、どうかこのお盆の機会にお子様に言い聞かせてあげてください・・・

 

あなたが、亡き祖父や祖母、父、母、その他の故人のことについてお話をされる時、あなたのそばで必ず喜んで聞いて頂けていると、

 

そしてそれが何よりの供養であると・・・

 

 

本日も最後までお読みくださり、有難うございました。

 

 

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