教育と人の生き方、哲学、歴史(アカルヒメと歩む過去から未来)

49歳にて「えっちゃん」こと「阿迦留姫(アカルヒメ)」と時を超えて再会し、それ以来再度行動を共にしています。 元進学塾講師、教育関連をテーマに人の生き方、哲学、歴史(古代史)など

強い者が弱い者を救ける世の中であってほしい(お金に操られることのない人生を)


私たちが今、住んでいるこの世界は、

 

「強い者が弱いものをいじめる世界」なのかと、

 

時々そのように思うことがあります。

 


例えば仕事で、ミスをして頭を下げる立場の低い相手取引先の担当者に対し、

 

「相手を許すな!」

 

「相手に対し、もっと怒れ!」

 

「相手の上司も呼び出して謝罪させろ!」 と、更なる謝罪を求めたり、

 

更に、

 

「相手にそうさせられないのは仕事のできない者だ」

 

「相手にそうさせられないのは相手に嫌われることから逃げている卑怯者だ」

 

そのように言われることがあります。

 


しかし、それは正しいのでしょうか?

 

「売り手と買い手」の関係を見た時、そんなに買い手(客側)は偉いのでしょうか?

 

相手側のミスはミスとして、頭を下げて謝罪している人に対し、上から足で頭を踏みつけ、更に上の者を呼んで謝罪に来させろと、

 

そんなに買い手(客側)というのは偉いのでしょうか。

 

買い手とは、お金を出す側、

 

「店」と「代金を出すお客様」、

 

「従業員」と「給与を出す会社」、

 

会社の場合は組織上の指示系統の関係で上下の序列こそあれ、それでも雇用契約上は立場は対等、お互いが感謝し合い、共存していくものではないでしょうか。

 

確かに支払いをした買手とすれば正当な対価、商品を受け取る権利はあり、時にそれが不完全な商品だった場合は異議申し立てをして、話し合いと適切な事後対応が必要になることもあるでしょう。

 

しかし、

お金を出す側とは、それほど強い権力を持ち、偉いものなのでしょうか?

 

お金を持つと、何様かになれるのでしょうか、

 

私たち人間は、お金に支配され、それを出す者に対して、ひざまずかなければ生きていけないのでしょうか、

 

もし、そうなら、


「この世は強い者が弱いものをいじめる世界」なのでしょうか・・

 

・・・

 

私は、これからの世の中、

 

強い者が弱いものをいじめるのではなく、

 

「強い者が弱い者を救ける世の中」であってほしい、

 

お金は単なる道具、手段であって、権力として使うのではなく、

 

お金支払う立場にある人は、

決してあなたが偉いのではないことに気づき、

 

そして私たち人間は、お金に操られていることに気づき、

 

お金とうまく付き合い、幸せな人生を送れるものであって欲しい、

 

・・・

 

生きていくのに、たしかにお金は必要だと思いますし、きれいごとだけでも生活していけないことも多い世の中だと思います。

  

また、私たちは人間は、お金はあればあるだけまだ欲しいと、際限のない金銭欲を持つものでもあると思います。

 

・・・

 

しかしながら、自分の人生、

お金に操られて終わる人生にはしたくないものです。

 

お金に変えられない価値のあるものが、この世にはたくさんあるのではないでしょうか。

 

 

そのようなことを考える日々です。

 

 

本日も最後までお読みくださり、有難うございました。

 

 

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