教育と人の生き方、哲学、歴史(アカルヒメと歩む過去から未来)

令和2年5月24日、49歳にて「えっちゃん」こと「阿迦留姫(アカルヒメ)」と時を超えて再会し、それ以来再度行動を共にしています。 元進学塾英語講師、ウェブデザイナー、現在ベンダー勤務。 教育関連をテーマに人の生き方、哲学、歴史(古代史)など

期待すると裏切られる、という件について

 

よく言われることに、「期待すると裏切られる」という言葉があります。

 

また、「期待は執着である」とも言われ、私たち人間は、子供の将来、ビシネスの先行き、その他様々なことに対してとかく期待しがちなものだと思います。

 

私の個人的な考えなのですが、「期待していたのに裏切られた」「期待していたのにがっかりした」というのは、典型的な「我」ではないか、

 

期待される者にとってはやりがいに繋がることもあれば、逆にそれは負担になることがある、そのように考えていまして、特に私自身、受験教育の業界に長くいた経験からそれを痛切に思います。

 

以前の記事で、私たち人間は皆、本来自分自身の中に光を持っていると書かせて頂き、そしてその光は汚れで輝きを失っているのではないかとも書かせていただきました。

 

魂の光の輝きを遮っている「その汚れというのは『我』ではないか」と、最近はそのように考えることが多々あります。

 

これだけ塾に通わせたのに・・

 

これだけビジネスに投資したのに・・

 

なのに上手くいかない・・


落ち込み、そしてその理由を自分以外のものに見出し・・


私は期待すること自体は悪いことだとは思いません。しかしながら、相手や物事が期待通りの結果にならなかったからと言って、その期待は自分勝手に期待していただけであって、責めるなら自分を責めるべきで、まさにその抱いた期待は「我」ではないかと、そのように考えることがあります。

 

期待される側にとっても、それは本来は大変光栄なことではあり、時に本人を応援する力にもなると思うのですが、ただ、それが期待する側の執着となってはいけない、期待する側の「我」の押しつけになってはいけない、そのように考えています。

 

以前も書きましたが、私が保護者面談で保護者(お母様)と話をする時、ヤンチャで悪さばかりする生徒がいたら、それが度を越さない程度のものであれば、

 

「活発で元気なお子さんですね、」と、そのように話すようにしていました。

 

中には逆に、「この子は親に似て勉強はさっぱり出来ませんが、とても優しい子なんです」と、胸を張って話す立派なお母様もいらっしゃいました。


ですから、もし思うように成績が上がらないお子様がいたら、

 

「この子の良いところはなんだろう、」

 

「この子のどこを褒めて伸ばしてやればいいだろう、」

 

そのように考えることが出来れば、親も子供も共に成長できるようになるのではないでしょうか。

 

私たち親とは、子供の前では偉そうなことを言ってはいますが、本当は自分たちが至らない未熟な大人だと気付く必要があるのだと思います。

 

もちろん、私もまだまだ未熟な親です・・

 

本日も最後までお読みくださり有難うございました。

 

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